傷んだ髪を切るかどうか迷ううちに、いつのまにか暑過ぎた夏も終盤、日焼け止めの残りも少なくなった。
どうやら僕の記憶にある「夏」というものと、今の夏は大きく異なってしまっていて、ここまで辛い季節じゃなかったんだけどな、などと思う。
眩しい日差しが裏腹に落とす暗い影にこそ目を引かれるように、僕は今夏の終わりを見つめているが、一つの季節がまた無明に還っていくことへの感興も特になく、ただ太陽の円周運動が続いてゆく。
ああ、やっと給料日だ、と思ったら、もう次の給料日がやってくるじゃないか、といったように。
今年は秋のフルマラソンを走らないことにした(マラソン大会に当選していたが辞退した)ため、地獄の練習を経ずに夏を終えられることにはいささかほっとしている。
こんな暑さで10キロや15キロを日々走るというのはどうかしていて、そんな日々の練習を耐えられるほど僕は走ることが好きでも何でもない。
2年連続でフルマラソンを走ったのは結構いい経験だったが、一旦走るのをやめてしまえばただの人である。
筋肉は落ち、腹に肉が乗り(これはほとんどが暴食のせいである)、脚力が落ちたのを如実に感じる。
村上春樹が20年以上毎年マラソンに出場し続けているのに少し憧れがあったが、どうにもならないほどに体は言うことを聞かず(また言うことを聞かせる気もなく)、ぱたりと走らなくなった。
僕に言わせると、やはり、体を動かすよりも、直接的に自分の内的世界に沈潜していくような趣味の方がずっと面白い。
そんなこんなで、ここ数ヶ月はずっとBlenderを触ることに何よりも喜びを感じている。
こんな面白いものがあったなんて。それも無料でずっと遊べる趣味だ(ハイスペックなPCを用意する必要はある)。
ジジイになったってBlenderで何かを作り続けているのがささやかな夢だ。
夏の話に戻る。
僕にとって、夏とは、たとえば、子どもの頃に夢中で川で魚を獲ったあの夏、あるいは、大学に入ったばかりで孤独なアパートで過ごしたあの夏、あるいは、社会人としての肩書きも曖昧でほとんど透明人間だったあの夏。
それらの夏のどれを参照しても、こんなに暑くはなかったし、もう少しそこには季節としての風情があった。
全てはどこに行ってしまったのか?跡形もなく消えてしまった気がする。
あるいはこんな思いを抱くのは単に僕が歳を取っているからなのだろうか。
まぁ、僕の甥っ子たちは今の夏を原体験として大人になっていくのだろうし、僕が経てきた夏を彼らは知る由もない。
全てが相対としてしか存在しないのなら、僕にとっての「それらの夏」は僕の中にしか存在せず、そこから何かの論なり言説を取り出して一般化して語ることにどれだけの意味があるのだろう。
いや、そもそも意味があるとかないとかいったことも相対的なものだし、違う、そんなふうに話を持っていきたいわけではない。
まぁ、いいや。
この文章はそろそろ締めよう。
マクドナルドでiPadにタイピングしていると(なぜか僕は文章を書くときはマックに行くと決めている)、少しほっとする。
それは、おじさんになりつつある僕にも、世界に対して伝えたいことが残っているということに気づけるからだ。
20歳くらいの頃は、とにかく、世界に対してあれもこれも伝えたかった。
俺はどういう人間なのか、何が好きで何をしたいのか、何が嫌いで何を憎むのか、あるべき世界のあり方について、人の生と死について。
とにかく、誰かに何かを伝えないではいられなかった。
それは若者が備えるやっかいな特質の一つだ。
今は淡々と日記のようなエッセイのような毒にも薬にもならない文章を書いている。
誰に向けたものなのだろう?よく分からない。
ただ世界に向けてこの文章を発信している。
そもそも誰がこの文章を読んでいるのかも僕は全く知らない。
もう20代前半に僕は十分自己主張をしてきたと思っているので、今はゆっくり、まったり。
10年後、本当におじさんと言われるようになる頃にはどんな文章を書いているやら。
- 31, 8, 2024
これまでに経験したどの夏より今年が暑い。
あんまりに暑いので、絶賛夏バテ中。
とにかく、元より人並みより低いHP・MPがさらに半分に制限されているような、そんな感覚で、仕事にしろ生活にしろ何にしても力が湧いてこない。
絵を描くのも、ギターを弾くのも、中国語を勉強するのも、全部おざなりになってしまっている。
いやまぁ、夏バテを言い訳にしている節もあるのかもしれないが・・。
唯一相変わらずで取り組んでいるのが、3DCGソフトのBlender。
毎日2時間くらいはPCデスクに座ってBlenderを起動してうんうん唸りながら何かしらを作っている。
29歳にして、それまでやったことのなかった3DCG制作にハマるだなんて・・。
人生は本当に奇妙なものだという感じがする。
いや、多分人生なんてそもそもカオスなものなんだろうとは思う。
ただ僕らは普段「アラサーの人間が急に3DCG制作に熱中し出す」ようなことを珍しいものだと捉えているだけだろう。
3DCGの勉強をすればするほどに、僕はBlenderに搭載された機能の1000分の1さえ使いこなせていないだろうという考えに囚われ、茫漠とした空間に1人置いていかれたような不安な気持ちになる(せいぜい趣味でやっているに過ぎないのに、何だか大げさだが)。
それでも何かを作る度に感じる喜びと、もっと作りたいという意欲が僕の背中を押してくれているので、挫折せずに続けられている。
僕は20代中盤になってようやく創作する喜びを知ることができたように思うが、それは大分遅咲きなので、甥っ子たち(7歳と3歳)にはもっと早い段階でそういう喜びを知ってもらえたらいいなと思ったりする。
親ではないしあまり口出しはしたくないので、少し離れたところから彼らの成長を見守るような存在でいたいと思う。
そういえば、再来週に長崎へ旅行するのだが、こうも暑いと観光するのもおっくうになる。
喫茶店巡りのようなインドア風味の楽しみを開拓しようか。
半年以上前に読み始めてまだ全然読み切っていないマルケスの『百年の孤独』を持っていこう。
学生時代や、大学を出て数年くらいはしょっちゅう旅に出ていた。
それが今や、旅なんてものとはほとんど縁がなくなってしまった。
ヒッチハイクしまくって奔放に旅をする友達の様子をSNSで見ていると、ああ何て素敵なんだろうと胸がいっぱいになる。
僕も学生時代はヒッチハイクで旅をしていたことがあるが、あの頃の行動力はどこへやら。やれやれ。
今月の後半に仕事でプロジェクトの異動がある。
今のプロジェクトのリーダーが、いわゆるマイクロマネジメント癖がある人で、適当なところがある僕とは大変相性が悪かった。
異動になってせいせいしたという感じではあるが、また一から新しい上司や同僚と関係を築いたり仕事を覚え直さなければならないのは面倒だ。
異動までに、とにかくこの無気力症とも呼ぶべき夏バテを克服しなければ。
多分僕は同世代の大人の中では暇な人生を送っている方だが、それでもやらなければならないことは多い。
面倒くさい、面倒くさいと思いながら何とか日々をやり過ごしている。
20代にして結婚して子供を授かっている人も大勢いるのだと考えると、とても自分にはできそうにないと思う。
(たかだか)夏バテでひぃひぃ言ってるのだから。
しかし裏返せば夏バテしていられる程度には暇で自由であるということで、それ自体は悪くないなとも思う。
とにかく何よりも自由であることを望んでいた10代の自分からすると、今の自分は結構満ち足りた状態の方かもしれない。
自由、自由。僕はあまり積極的な自由を欲しがらないが、何かに行動や思考を制限されない消極的な自由を何より大切なものだと考えている。
夏バテする(できる)自由を今年は楽しんでみることにするか。
- 4, 8, 2024
一年半後にワーホリで台湾に行くことにした。
以前から台湾へのワーホリという選択肢はないわけではなかったけど、決して本気では考えていなかった。
それが先日、「あぁ、台湾に行かないといけないな」とふと思い立ってしまって、それはあっという間に規定事項の予定へと変わった。
別に台湾に行かなければならない理由なんていうものはなくて、しかし、今の自分には障害物もないわけで。
31歳の誕生日を迎える直前に最後のワーホリに旅立つことになる(今の予定が変わらなければ)。
これはいわゆる「ギリホリ(ギリギリで行くワーホリ)」というやつだ。
元々ぼんやりとカナダにワーホリで行けたらいいなと思っていた。
ただいまいち自分の中で決め手に欠けたというか、結局、それを実行に移すに足る理由もモチベーションは自分にはなかった。
学生時代に抱いていた、漠然とした欧米社会への憧れの残滓が残っていただけなのかもしれない。
台湾にワーホリで行くにあたって、言語の問題は大きい。
今、公用語の台湾中国語(台湾華語)の勉強を一から始めている。
あと一年半、結構しっかり勉強しないといけないみたいだ。
あとは、願わくば出発までに個人でリモートの仕事を確保しておければいいと思う。
台湾で働いてみたいと思うけど、現地での仕事探しがうまくいかなくてもしばらくはやっていけるという余裕が持てれば理想的だ。
これまで、業務委託を受けて個人で仕事をしていた時期もあるが、それは個人的なツテで得た仕事が主だったし、個人的に営業をかけて仕事を取った経験というのはほとんどない。
元々自分をアピールしたり売り込んだりのが極端に苦手だったし、積極的にお金を稼ごうとしてこなかったが、今後はそういうことにも挑戦した方がいいのだろうと思う。
うまくやれそう気はあまりしないが、やはり何かを手に入れたいと思うならそれなりの努力はしなければならないだろう。
本当に唐突に「来年末に台湾に行く」とか言い出したので、周りの人たちを驚かせてしまったと思う。
自分自身急に決めたことなので、あまり正当な理屈をつけて説明できないのだが、何だか今は無性に台湾に行きたいし、それが自分にとっていいことなんだと思う。
直感的に、これは正しい決断だと思う。そう思えているから大丈夫なはず。
ここ数年、いまいち人生の方向性を定められずに彷徨っていたが、一旦の目的地を見つけることができ、何だか心に気力がみなぎる。
元々不安症の僕だが、たとえそれが短い期間だけだとしても、鈍感になって旅に出ることにする。
不安を感じるのは実に人間らしい資質だが、鈍感さも実にかけがえのない美徳の一つである。
- 15, 7, 2024